Gabriele

Die großen kosmischen Lehren des Jesus von Nazareth an Seine Apostel und Jünger, die es fassen konnten


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      次に挙げる法則性についてよく考えなさい。

      あなたは、一人の人間と話した。あなたはその人の名前しか知らない。あなたは、その人が何から成り立っているかを知らない。その隣人も、外面的なところだけで生きているため、自らを知らない。何故なら、その人自身も自分が何から成り立っているか知らないからである。その人は自分自身を知らず、あなたもその人を知らない。つまりあなたがたが互いを知らないならば、神をも知らない。そのため、あなたがたはどちらも一人ぼっちである。永遠に愛する父たる神は、あらゆる人を知っている。何故なら、神はどんな子供をも愛し、神の父なる大きな心の中に抱えているからである。

      すべてがあなたの中にある。生命があなたの中にあり、あなたはそれを自分の中から満たす。

      すべてが最初はあなたの中で生じたものであるから、永遠の「神による存在」には陰がない。それゆえ、上や下というものも、前や後ろというものも、左や右というものもない。

      一つである万物は、内なる生命のあらゆる側面で輝く力強い結晶であり、あらゆる光がそれぞれの側面に浸透してゆく。

      人間は、「上」や「下」、「前」や「後ろ」、「右」や「左」と口にする。何故なら外側の目でのみ見て、真理の反射像のみを記録しているからである。人間は、人間的な過ちの行動によって、三次元の考え方を引き起こす密集地帯を生み出した。それは、人間が自分でつくった繭の世界の壁を肉体の目で見るだけで、これを現実のものと思い込み、自らの生活基準と捉えているからである。

      その密集、物質は、下方に変換された神のエネルギー、つまり光を陰に反転したものにほかならない。

      このような人間の陰の世界に住む人は、魂が陰で覆われ ている。そして、魂により全体が陰に覆われる一因となったものを償うために地上の人間として存在している。光の存在が全能の神の指図により訪れて、人間すなわち陰に隠れた魂が自らの暗い自我の迷路から抜け出すための道標を示さない限りは。

      神殿の秩序を守りたいなら、生命が一つの全体であることに気づきなさい。上から下まで、前から後ろまで、右から左まで、全体のものとしてあることに。それに気づき、自らの神殿の奥深くに生きれば、自分の心の奥深くから受け取ることもできる。

      外側の人間にとっての上下、前後、左右とは、内なる人間にとっては、自らの中の生命であり全体である。

      神殿の秩序を守るなら、あなたは神殿の中に住み、あなたの中の神の聖域に住み、あなた自身を知る。あなた自らが「神による存在」であるとわかったなら、あなたは隣人を知ることになる。何故なら万物を知り、「神による存在」を知り得たからである。

      そうしたなら、あなたは何も探し求める必要はない。あなたは受け取ったのである。「神による存在」が永遠に与えてくれるから。その存在はあなたの中で与えてくれる。あなたの中を流れ、あなたの中で、この世界の中で明らかになる。